劇場版 シュタインズゲート 負荷領域のデジャヴの感想と考察「考え続けるのは面白い」

劇場版 シュタインズゲート 負荷領域のデジャヴの感想と考察「考え続けるのは面白い」

劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴのあらすじ(ネタバレですのでご注意ください)

●あらすじ
2011年8月3日、シュタインズ・ゲート世界線に到達してから一年後、学会に参加するために牧瀬紅莉栖が来日しラボを訪れることで再びシュタインズ・ゲートという物語が動き始める。

 

 岡部倫太郎は一年前に行ったタイムリープの影響から現実と別世界線での出来事が重なるとどちらの出来事が現実なのか区別することが曖昧になってきていた。今起こっている出来事、過去に経験した世界線での出来事どちらも岡部倫太郎にとってはどれも現実の出来事であるのだから…。

 

 少しずつ自分の異変を自覚しはじめた岡部倫太郎は更に経験したことのないはずの別世界線での記憶さえも現実と重なりはじめてしまう。

 

 8月4日、そんな岡部倫太郎の異変を予期したように牧瀬紅莉栖の元へ謎の人物からメーセージが届く。

「携帯電話、電子レンジ、SERN。忘れないで。忘れなければなんとかできる。あなたが観測していれば必ず――」と。

 

 いつかのコインランドリーで再会した牧瀬紅莉栖と岡部倫太郎。いつか別の世界線であったことのように破れていた岡部倫太郎の白衣を牧瀬紅莉栖が裁縫していると、牧瀬紅莉栖の目の前で岡部倫太郎は突然消えてしまう――存在そのものが…。

 

 牧瀬紅莉栖さえも岡部倫太郎という存在を忘れてしまうが、消えてしまったところを観測したことから記憶に些細な違和感を覚える。

 

 何かが欠けている、明らかに今まであったと思っていた何かが無くなってしまった。それが何なのかわからない。

 

 違和感、不安、妄想、恐怖、焦燥感、誘惑いろいろな感情が牧瀬紅莉栖の中で渦巻きながら、一週間が過ぎ、そんな感情が次第に薄れ始めていった。

 

 しかし牧瀬紅莉栖は自分が使っていたマイホークを観て違和感が蘇り、ホテルのメモ帳にかかれていた「携帯電話、電子レンジ、SERN ?」という文字からかつてのメッセージを思い出す。

 

 違和感が確信へと変わり、自分の持つその感覚の正体を探り始める。2011年8月13日、そして牧瀬紅莉栖は作りだしてしまう、タイムリープマシンを。そして牧瀬紅莉栖の孤独な時間との戦いが始まってしまう。

 

 過去へタイムリープした牧瀬紅莉栖は、違和感の正体が何であったのか思い出してしまう。

 

――岡部倫太郎という存在を。

 

 そんな牧瀬紅莉栖へかつて牧瀬紅莉栖にメッセージを残した謎の人物、阿万音鈴羽から連絡があった。

 

 鈴羽から岡部倫太郎の状況を説明してもらっていた牧瀬紅莉栖のところへ、その説明を聞いていた岡部倫太郎が姿を現す。

 

 次の日に存在が消えてしまうという未来を説明された岡部倫太郎は、タイムマシン・タイムリープマシンの危険性や牧瀬紅莉栖の身を案じ、自分が消えてしまうことを構わないと受け入れてしまう。

 

 ――最後に牧瀬紅莉栖に「さよなら」というメールだけを残して消えてしまった。

 

 岡部倫太郎の願いを受け入れ牧瀬紅莉栖は、ただ先の分からない未来に向かって歩こうとしていた。

 

 何かが欠けてしまったまま日々を過ごすうちに、ラボメン達はいつしかバラバラとなりラボがなくなってしまうことになった。

 

 そんなところへ未来へ帰る前にと鈴羽が牧瀬紅莉栖に最後のチャンスを与える。あくまで感情に流されることなく自分の理論と信念に基づいて行動する牧瀬紅莉栖であったが、自分が本当に大切にするものは何かと考え、岡部倫太郎という存在を取り戻すために動き始める。

 

 岡部倫太郎に起こったことを全く変えずに

 

「シュタインズ・ゲート世界線での出来事が他の世界線とは明らかに違うと強く認識させる」

 

「他の世界線にはない強烈な記憶をひとつだけ植え付ける」

 

ため、牧瀬紅莉栖はタイムマシーンを用いて2005年へとタイムトラベルする。
 

 2005年6月30日、牧瀬紅莉栖はどうすればいいのか考えながら岡部倫太郎を探す。過去の岡部倫太郎を見つけることに成功するが、感情的になり焦ってしまった牧瀬紅莉栖は一度失敗してしまう。

 

 この失敗で牧瀬紅莉栖は恐怖を覚え、またこれまでに繰り返し味わった岡部倫太郎の気持ちを知ってしまう。

 

 そしてまた岡部倫太郎を絶対に助けることはできないということに気づいてしまう。

 

 心が折れかかっていた牧瀬紅莉栖だったが、ラボメン達に残る岡部倫太郎の残滓を感じ、デジャブこそがリーディングシュタイナーの力であり、別世界線の記憶が集まって自分が今ここにいることに気が付き、再び岡部倫太郎を救うと立ち上がる。

 

――心は嫌だ、やめて、思い出さないで、私には助けられないと悲鳴を上げながらも…。

 

 2011年8月15日から、再びタイムマシンを使い2005年6月30日へタイムトラベルした牧瀬紅莉栖は岡部倫太郎をどうすれば助けられるのかと考え続ける。

 

 牧瀬紅莉栖自身が既に科学者として行動しているのではなく、牧瀬紅莉栖の感情を優先して行動していることに駅のホームで気づいてしまう。

 

 そんなとき「迷子ですか?」と弱りきった岡部倫太郎から声をかけられる。

 

「鳳凰院凶真」の物語が牧瀬紅莉栖の口から自然と溢れ出し、それを聞いた岡部倫太郎は「悲しい話ですね」と感想を述べる。

 

 それに対して牧瀬紅莉栖は「私は素敵な話だと思う」と言いそっと岡部倫太郎に口づけし「行きなさい」と岡部倫太郎の背中を押す。

 

たったそれだけのことで岡部倫太郎は走り出す。

 

 R世界線にたった一人存在し続けていた岡部倫太郎へ、これまで何度もしてきたように牧瀬紅莉栖は手を差し伸べる。

 

――私を思い出してと。皆も覚えていると。

 

 私があんたを観測し続ける。あんたが私を観測しつづけてくれたようにと。R世界線からシュタインズ・ゲート世界線へ戻ってきた岡部倫太郎は言う。

 

 ――「それがシュタインズ・ゲートの選択だと言うならな。さてクリスティーナよ、返してもらおうか。俺のファーストキスを…」

感想・考察「考え続けるのは面白い」

劇場版を視聴しての感想です。

 やはりシュタインズ・ゲートという作品は考え続けて視聴しなければ面白くない!と感じました。劇場版の評価はその点で人によって評価が分かれるなと思いました。

 

 劇場版シュタインズ・ゲートを単体の物語として視聴してしまうとハッキリとしたシリアスな展開がないために少し物足りなさを感じるのではないのでしょうか。

 

逆に概念という点でいろいろと考えが止まらない作品でした。

 

 これまでにシュタインズ・ゲートにおけるタイムパラドックスについて以下のようにまとめたことがあります。

 

タイムパラドックスとは、タイムトラベルに伴う矛盾や変化のことです。

 

 タイムマシンやタイムトラベルといった技術が確立されておらず、タイムトラベルができるということを前提に、考えられる問題です。

 

 タイムパラドックスの最も有名な例に「親殺しのパラドックス」というものがあります。これは過去へ遡ったタイムトラベラーが自分が生まれる前に両親を殺害した場合、どのような結果が考えられるのかというものです。

  1. どのようにしても絶対に殺すことができない(矛盾を引き起こすことができない)
  2. 両親が自分を生む前に殺されてしまうので自分も消滅する。しかし自分が消滅してしまうと「過去へ遡って両親を殺害する」ということができなくなるという矛盾が更に生じます。自分が生まれてこないのですから親などおらず、過去へ遡ってしまっても殺害する対象がいないということです。
  3. 両親が殺害され自分が生まれないという世界と自分が生まれる世界の2つのパラレルワールドが生まれ分岐する

 

 以上の3つに場合分けがされますが、タイムトラベルができるということを仮定して考えられる問題のためどれも検証や実験、観測を行うことができません。

 

 シュタインズ・ゲートにおいては世界線という概念とアトラクタフィールドの収束という因果の収束が描かれてきました。これはタイムパラドックスにおける③と①です。

 

 劇場版シュタインズ・ゲートにおいては、これまでに触れてこなかったタイムパラドックスの②の問題を追及しています。

 

 またシュタインズ・ゲートという作品が世界線やアトラクタフィールドの収束と深く関連しているため、②を追及していますが①と③も常に問題視されています。

 

 場合分けと先述しましたが、劇場版シュタインズ・ゲートはタイムパラドックスの②の問題を追及することをテーマとしていますが、タイムパラドックス全部を取り扱うことになっています。

 

 このようなタイムパラドックスを踏まえて岡部倫太郎が消えてしまうということがわかったときから先の展開を考え続けていました。

 

 存在が消えたということをどう発展させてどこを物語の着地点とするのか、その方法はどんなものがあるのか、矛盾を起こさないという制約のもとに物語がどう進むのか。

 

こういった点でわくわくとしてしまい期待も大きくなりました。物語の終わり方においても個人的には第二十四話よりもきれいだったのではないのかなと感じてしまいました。
 

 作中で今まで特に触れられることのなかった精神年齢の差についても劇場版を視聴することで納得がいくものとなりました。

 

 これまでに幾度となくタイムリープをし複数の世界線の記憶を持っている岡部倫太郎は、記憶の連続性はないものの、もしかしたら人の一生よりも多くの経験をし精神年齢が実年齢よりもずっと高くなっているのではと思っていました。

 

 また他のラボメンは記憶がデジャブという形で断片的にあるものの、リーディングシュタイナーの力を持っていないことから精神年齢は実年齢とほぼ同じものです。

 

 ですので、岡部倫太郎が牧瀬紅莉栖に恋をしてもうまくいくのかなと考えていました。

 

 劇場版を視聴することにより、牧瀬紅莉栖はタイムリープを行い、デジャブを別世界線の記憶として受け入れることで岡部倫太郎程ではないものの実年齢よりも精神年齢が上がったと考えられます。

 

 そんな二人が恋をするのですから、必然的に二人の距離は前よりも近いものになっているのかなと思いました。

 

 もちろん劇中を通して牧瀬紅莉栖が岡部倫太郎を救おうとするお話ですので、精神年齢うんぬんとは関係なしに気持ちはずっと強いものになっていることは確かですが…。

 

 劇中で判明した鳳凰院凶真の原点が牧瀬紅莉栖であったというものも面白いなと思った点でした。

 

 ここからは更に「鶏が先か、卵が先か」という思考実験にも繋がります。

 

 鳳凰院凶真の原点は、劇場版の牧瀬紅莉栖が先なのか、それとも岡部倫太郎が自分で妄想して作り上げたことが先なのか。

 

 鳳凰院凶真のオリジナルはどちらなのか、それともまた別のどこかにあるのか答えのない無限ループである思考だとはわかっているのですが、こういったことを考えるとシュタインズ・ゲートという物語は終着点はあっても終わらないのだなと思いました。

 

 牧瀬紅莉栖視点で描かれたシュタインズ・ゲート世界線にたどり着いた後に起きた物語となった劇場版シュタインズ・ゲートでしたが、タイムパラドックスの問題や岡部倫太郎と牧瀬紅莉栖の恋路をきれいにまとめ上げ、これから先の二人を想像できるようないい作品であったと思います。

 

 また牧瀬紅莉栖の感情が節々で描写されていたことで、何故、岡部倫太郎に惹かれているのかというところも解決しているために個人的に高評価です。

プチ考察

牧瀬紅莉栖のレポート

Analysis of nerve pulse signals

 

related to memories stored in the temporal cortex

 

と書かれたレポートです。

 

 標題からタイムリープマシンを作る前段階である「人の記憶をデータ化する」ということが書かれていたのかもしれません。

阿万音由季(シュタインズゲート・ゼロの登場人物)

鈴羽の母、ダルの嫁のお名前と容姿が劇中で明らかになりました。

 

阿万音由季さんはシュタインズ・ゲート ゼロで主に登場するそうですのでシュタインズ・ゲートゼ ロが楽しみですね。

 

劇場版の話の感想、考察は以上です。

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