進撃の巨人season3 第2話(39話)のあらすじと感想『対人』

進撃の巨人season3 第二話 『痛み』【あらすじ】
ケニーたちと交戦するリヴァイ班。ケニーは憲兵団と手を組んでいたのだった。リヴァイは、憲兵の命を多く奪った彼がどうして憲兵と手を組んでいるのか、理解できないまま。
ある店に逃げ込んだリヴァイだったが、しかし、その店舗ごと取り囲まれてしまった彼は窮地に立たされていた。彼は圧倒的な身体能力でその包囲網をかいくぐる。
一方で、リヴァイ班の面々は、リヴァイが残した伝言を聞く。その伝言は、「これからは巨人だけでなく、人間とも戦うことになる」というものだったのだ。そして、エレンたちが護送されている馬車を守るために、彼らも人間と戦うことを決意する。
しかし、対人戦闘になれた彼らとの戦いは、彼らにとっては不利なものだったのだ……。
『対人』【感想】
今回はなかなか啓示的な物語であったような気がします。人が人の命を奪うことが果たして悪なのか、正義なのか。正解なのか、間違いなのか。それについて、考えさせられる回ではありました。
普通、人の命を奪うことは悪だと言われるでしょう。それは僕としても否定のしようはありません。それがもし絶対的な正義だと言うなら街のそこかしこで人の命が奪われていてもおかしくはないでしょう。
でも、もし自分の命が奪われようとしているときにその相手の命を奪ってしまうのは、悪だと言い切れるのでしょうか。それは多分正義だと、間違っていることではないという人も多いでしょう。実際、正当防衛というのは罪に問われないこともあります。確かに、命を奪おうとしてきた相手に対して制裁を加えるということは、決して間違ったことではないと思います。
けれど、その相手にも何らかの事情があったとき、その行為が必ずしも正義として讃えられるかどうか、と言われるとそうではないと思います。戦争などがその最たる例でしょう。
日本の陣営から見れば、敵である米軍などの命を奪うことは正義でした。それが国のための成果になるのです。その一方で、米軍からしてみれば、自軍の命が奪われているわけなのですから、それはどこまで行っても悪として映るわけです。それが正義として映ることは、決して無いわけです。
今回、彼らが直面しているのは、まさしくそういう状況です。今まで彼らは巨人という人類(少なからず壁の中の人類)の中の共通の敵である存在と戦っていました。それは確かに、人類のみんなからすれば正義として語られる行為だったでしょう。しかし今回彼らが戦うことになったのは、紛れもない人類です。今まで自分たちと共に戦っていた人間たちが、的に回ってしまったわけです。そこで、命のやり取りをしなければいけないということに戸惑いを覚えない人間はいないでしょう。
アルミンやジャンの心にのしかかったその負担は、推し量ることができないほどのものです。その中で、彼らは一体どんな事を考えなければならないのでしょうか、感じなければならないのでしょうか。きっと、彼らはその中で自分たちの中にある答えを見つけないことには、前に進むことができないのでしょう。それを正義として責任から目をそむけるのか、それがどこまで行っても悪なのだと思って、責任を負い続けるのか。もう、答えは見えているのだと思います。
そんなふうにして始まった人と人の戦い。これからどんな展開を見せていくのか。次回に期待です。